尖閣諸島地図集

03.尖閣諸島全体図


01 魚釣島位置図2(旧) 第11管区海上保安部
02 魚釣島位置図2(新) 第11管区海上保安部
03 黒岩恒、「尖閣列島探検記事承前」
04 尖閣諸島地図 国土地理院
05
MSNマップ地図 尖閣諸島 40万分の1
06 尾瀧延太郎作製「尖閣諸島全図」2枚
07 尖閣列島位置圖
08 「魚が鳥を食った話」40頁
09 「指南広義」掲載図
10 高良鉄夫著「沖縄の秘境を探る」





























尖閣諸島各島位置図
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魚釣島位置図2旧(第11管区海上保安部) 

(以前のものでこの方が解り易い。下はこれに管理者が「飛瀬」を加えた)

















尖閣諸島各島位置図02
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釣島位置図
平成20年9月のもの
(第11管区海上保安部サイトより引用) 















上図に「飛瀬」「沖の北岩」「沖の南岩」の名称を追加したもの









(3)
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尖閣列島略図



黒岩恒  「尖閣列島略図」(1)
尖閣列島探検記事承前
(地学雑誌・第12輯141巻527頁)
明治33年09月
これは九州大学図書館蔵「地学雑誌」の複写です。


  「尖閣列島略図(大)









黒岩恒  「尖閣列島略図」について

現在名
掲載名
英語名
魚釣島 釣魚嶼 HOA-PIN-SU
久場島 黄尾嶼 TIAUSU
南小島・北小島 尖閣諸嶼 PINNACLES
大正島 赤尾嶼
飛瀬 水道岩 CHANNEL ROCK


この黒岩氏の図にも「釣魚嶼」や「黄尾嶼」とある。この名前、特に黄尾嶼などはつい最近まで一般的に地図に用い
られていた。この名称は尖閣諸島が問題となった時に早く改められるべきだったし、政府の無知と怠慢は攻められる
べきである。併しその名称があることを以て「日本は尖閣諸島が中国の領有であることを認識していた」と批判するこ
とは全く見当違いである。それは沖縄の歴史を知らぬ議論、或いはその歴史を無視した議論である。

明治4年(1871)、明治政府は廃藩置県によって琉球王国の領土を鹿児島県の管轄とする。それまで琉球は慶長14
年(1609)幕府の認可を受けた薩摩の3000の軍勢により占領され、以降実質的に薩摩(日本)の支配下に置かれ
た。併しその一方で薩摩は対外貿易による利益を欲したため、表面上は琉球の支那に対する朝貢を黙認した。朝貢
するということは属国ということである。つまり琉球は二重に属国となったのである。支那(明と清)に470年ほど、日
本に263年である。外交文書は全て漢文であり、支那の影響圏下にあった。つまり支那の文書をそのまま用いなけ
ればならない。当然、釣魚嶼であり、黄尾嶼であり、赤尾嶼である。

併し乍ら、中国の嶼と同様にそのどこにもこれらの島が支那の領土であるとは書いていない。そしてその主権が及ん
だ形跡もない。册封船の目標物に過ぎない。発見した、書物に書いてある、それだけで領有権を主張できるものでは
ない。そのことは既に18世紀には決められていた。明治の日本がそれを知っているのは当然である。だから調査し
て「釣魚嶼」、「黄尾嶼」、「赤尾嶼」に当たることは確認した上で、国際公法に照らしていかなる国の領土にも属しな
い、支那の主権も及んでいないことを確認した上で日本の領土に編入したのである。

なぜ、明治28年か。それは清国が大国であり、これと不要の諍いを起こしたくない。起こせば日本は重大な危機に
陥るおそれがあったからである。それは小国日本の当然の外交である。勝てる目途が立ったから初めて編入できた
のである。帝国主義日本という神話に踊らされて事実を間違えてほしくないものである。



それは当然である。彼らの地図には大琉球とは別に支那大陸の近くに小琉球という島がある。今の台湾である。台
湾は名前同様に小さく書かれてる。つまり彼らは最も近い台湾すら明確な地理的認識がない。その彼らが何で魚釣
島や赤尾嶼を



場 所
距離(マイル)
距離(キロ)
海上保安庁の数字
久場島〜沖縄
230理
370km
魚釣〜沖縄  410km
久場島〜赤尾
 48哩
69km
久場島〜西表島船浮
(いりおもてふなうき)
 95哩
153km
魚釣〜石垣  170km
久場島〜南小島
 13哩
21km
久場島〜魚釣島
 15哩
24km
27km
魚釣島〜南小島
  3哩半
5.6km
5km













(4)
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尖閣諸島地図※2:国土地理院



















(5)
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MSNマップ地図 尖閣諸島 40万分の1


http://map.msn.co.jp/mapmarking.armx?smode=1&zm=4&la=123.37.39.5&lg=25.46.41.3&mode=1&x=294&y=163





















(6)
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「沖縄縣管轄尖閣群島図」(旧名魚釣久場島)
尾瀧延太郎作製

尾瀧延太郎氏は尖閣諸島を開拓した古賀辰四郎氏の甥(姉の子)である。










尾瀧延太郎作製「尖閣諸島全図」(大)

























(9)
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「指南広義」掲載図  

「指南広義」掲載図
「戦前・尖閣諸島における漁業」より
 http://npil.canpan.info/report_download.html?report_id=11375

虫食いやシミなどの跡を取り除いています。
元図は下のようです。















「指南広義」の原図

田中邦貴氏サイト「尖閣諸島問題」より
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/senkaku/shinankogi-1708/13.jpg





















(10)
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「尖閣列島略図」
高良鉄夫著「沖縄の秘境を探る」031頁






















尖閣地図
南西諸島の魚たち










吐喝喇(トカラ)及尖閣群島
大日本帝国陸地測量部


吐喝喇(トカラ)及尖閣群島



大日本帝国陸地測量部

假製版 五万分一地形圖


本圖ハ當部正式ノ製版ニ先タチ速ニ一般ノ需用ニ供スル爲メ地形測量原圖ヲ製版ニ附シタルモノナレハ圖畫ノ不鮮
明ヲ免レザルモノトス

昭和五年測圖(海上冩眞測量)本圖ハ現地踏査ヲ行ハス

魚釣島
冩眞ハ魚釣島ノ中等潮位ヨリ起算シ米冪ヲ以テ示ス

黄尾嶼
八重山尖閣群島石垣町
眞高ハ黄尾嶼ノ中等潮位ヨリ起算シ米冪ヲ以テ示ス

赤尾嶼
八重山尖閣群島石垣町赤尾嶼(大正島)
眞高ハ赤尾嶼ノ中等潮位ヨリ起算シ米冪ヲ以テ示ス


昭和八年五月二十五日印刷同五月三十日發行
著作權所有印刷兼發行者   大日本帝國陸地測量部
定價金拾参錢
































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尖閣諸島全体図・資料
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