○尖閣諸嶼
尖閣諸嶼 (Pinnacle group)は釣魚嶼の東方に位する二小島と、数個の拳石を総称するものにして、釣
魚嶼への最近距離は僅々三哩半斗、黄尾嶼へは十三哩を隔つ。二小島中東南に在るを南小島と云
ひ、西北にあるを北小島と云う。沖縄人の間には「シマグヮー」を以って通す。蓋し小島の義なり。両島
の間に幅二百メートルの水道あり。これを「イソナ」の瀬戸と云(新称)。流潮は常に北に向うて走る
を以って、峡間を溯上するは容易の業にあらず、南小島の西岸に伊澤泊(イサワトマリ・新称)あり。僅
かに小舟一二艘を容るヽ余地あるも、港口は黒潮の激衝を受け浪高きの失あり。探検の汽船は、両島
の陰にして潮勢の平穏なる位置に繋れり。水深は五六尋なり。
(南小島・北小島地図 02・03)
上図02:海上より尖閣諸嶼を望む
下図03:北小島の西北面
尖閣列島探検記事承前地学雑誌-141巻534頁
この諸嶼の地質は如何、余は悉皆回査せしに非さるも、南北二小島の要部に就きて観察する時は彼水
路志に記載せる如き玄夫岩ならずして、実に近古代の砂岩なり。南小島の西部に於ては、この砂岩は
北四十度の傾斜を有し、緻密部と粗粒部と、交互相層畳するを見る。北小島は地層の變位南の小島に
比すれは遙に小に、北端なる三層岩(新称)の如き、船中より望見すれば殆水平の層なり。珊瑚礁は南
小島の北岸に於て大に発達し、北小島に少し。伊澤泊なる小舎の後面に一大岩洞あり。
砂岩の層間より摘出する水一種の酸味を有す。北小島の南側にては仝種の水流れて小渓をなし、之を
掬するも酸味多くして飲むに堪へず。帰来之を化学者に質すに多量の鹽酸を有し硫酸亦反應中に在りと
云へり。暫く記して後の研究を待んのみ。
この両島は全く岩骨より成り、草木極めて少なく、顯花植物の数僅かに二十種に過きす。寰瀛水路誌
に、二三の項には長草を生す云々とあるは「ノビエ」を指したるものなること明なり。この草、鳥糞の為に
非常に長育し、実に本島植物界の大半を占む。
尖閣あるいは尖頭なる名称は本島の処々に見る所の突岩に基くものにして、南小島の東部に屹立する
者頗る大なり。余は之に新田(ニツタ)の立石(タテイシ)なる名称を付せり。(仝僚教諭・新田義尊氏に因
む)又北小島の西端なる三尊岩(サンソンイワ)(新称)の如きも、尖閣の名に負かさるなり。島の沿岸小岩
洞多く、北小島の東岸に在るものやや大、洞中時に赤尾熱帯鳥を見ると云。南小島の洞中には蛇多くし
て鳥卵を食うと云。共に行き見るの期なかりき。本島と釣魚嶼との間の海面は水道岩(Channel Rock)に
よりて二分せらる。東の水道は水路誌に水深十二尋を以って記述せられたるもの。西の水道は恐くは大
船の通航には危険多かるべく今回の探検船永康丸の如きこの水道の中央より少しく釣魚嶼に近つきて
航走せし為船底微かに暗礁を摩せり余は紀念の為、本礁を永康礁と名つけこの水道を佐藤水道(船長
佐藤和一郎氏に因む)と称せり。
(南小島・北小島地図 04)
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