尖閣諸島地図集


久場島


久場島・大正島写真集(1)  出典:海保航空基地の業務画像
(原画は暗かったので少し明るくしています)

01 参考:国土地理院 
02 参考:国土地理院 
03 宮島幹之助、「地学雑誌」143巻・明治33年
04
同上
05
同上
06 久場島の地名を加筆したもの
07 久場島の地名を加筆したもの
08 宮島幹之助「黄尾島(承前)」地学雑誌143巻691頁
09 宮島幹之助「黄尾島(承前)」地学雑誌」143巻693頁
10 南西諸島の魚たち
11 大日本帝国陸地測量部
12 黄尾礁西面スケッチ 季刊「沖縄」56号










久場島地図 01



出典:国土地理院1:25000 久場島
スケールの位置を久場島の下に持ってきています。

周囲=3、491m
面積=1、08平方キロメートル
高さ:海抜118m
魚釣り島との距離は約27q(第11管区海上保安本部)

(管理者の大きさの推定) 
最大幅 横約1、342m 横約1096m
(素人の私が参考のために調べた数字で、全くのおおよそであり、誤差が大きく当てにはなりません)









久場島地図 02




久 場 島  国土地理院 1:25000



































宮島幹之助作製「黄尾島之図」
地学雑誌・第12輯143巻・明治33年11月




是は小地圖にて諸君に分明せざるゆゑ茲に色分け地圖を調整し來れり(圖を示す)?ち是れが黄尾鳥の全形にして御
覧の如く三角形を爲せり、而して此中央に海面上直立六百尺の山ありて、又其北西隅と東隅とに各一峯あり、此三
山には未だ名称なきを以て専断ながら、茲に名を命ずる事にせり、この嶋に到着せしは五月十日にして恰も  皇太
子殿下慶事の當日なるを以って祝意を表し奉り、記念の爲め最も高き中央の山を千歳山と名づけ、東隅の一山は船
名を取りて永康山と名づけ、西北に位する山をば棲息する鳥の名に縁み信天山と名けたり、此島は悉く火山岩より
なりて表面に薄土壌を有するに過ぎず、岩石のことは予の専門にあらざるも他日の参考にもと携へ歸りて小藤博士
に呈せり、學友理埋學士・吉原重康君の鑑定によれば予の採集し來りしは火山岩の一種「バザルト」なりとのことな
り、島の周圖には岩石露出し、唯南面の一部を除くの外は既ね六十尺以上の絶壁にして容易に攀ること能はず、南
方の一部は低くして此處に幾分か港らしき場處あり、この處に小舟を寄せて上陸したるなり(海岸の写真を示す)他
には上陸し得べき好場所を発見せず、
宮島幹之助「沖繩縣下無人嶋探檢談」
地学雑誌・第12輯143巻・明治33年11月










宮島幹之助作製「黄尾島之図」


久場島には道路があり相当開発が進んでいたことが伺えます。























「黄尾島之図」下図


「黄尾島」宮島幹之助
地学雑誌第13集(明治34年)東京地学協会

















久場島地図 06

上の宮嶋氏の地図を参考にこれも国土地理院の地図に地名を入れてみました。

















久場島地図 07


















久場島地図 08



黄尾島第2図−黄尾島南面
宮島幹之助「黄尾島(承前)」
地学雑誌691頁・第12輯144巻
明治33年12月

















久場島地図 09



黄尾島第3図−黄尾島西北面
宮島幹之助「黄尾島(承前)」
地学雑誌693頁・第12輯144巻
明治33年12月

























久場島地図 10





尖閣地図 

南西諸島の魚たち




















久場島地図 11




黄尾嶼

トカラ列島及尖閣群島 1933年


假製版  五万分一地形圖


本圖ハ當部正式ノ製版ニ先タチ速ニ一般ノ需用ニ供スル爲メ地形測量原圖ヲ製版ニ
附シタルモノナレハ圖畫ノ不鮮明ヲ免レザルモノトス

昭和五年測圖(海上冩眞測量)本圖ハ現地踏査ヲ行ハス


黄尾嶼
八重山尖閣群島石垣町
眞高ハ黄尾嶼ノ中等潮位ヨリ起算シ米冪ヲ以テ示ス


昭和八年五月二十五日印刷同五月三十日発行
著作権所有印刷兼発行者   大日本帝国陸地測量部
定価金拾参銭











黄尾礁西面スケッチ
(季刊「沖縄」56号)








アサヒグラフ・昭和53年5月5日号に掲載された写真の部分です





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