尖閣諸島地図集

中国・台湾の尖閣諸島・沖縄国との境図


尖閣諸島について 
昭和47(1972)年5月、外務省情報文化局

 (3) 中国側の文書も認めている
 逆に、中国側が尖閣諸島を自国の領土と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第三条に基づい て米国の施政の下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実(昭和二十八年十二月二十五日の米国民政府 布告第二十七号により緯度、経度で示されています)に対して、従来なんらの異議をとなえなかったことからも明ら かです。のみならず、先に述べましたように、中国側は、東シナ海大陸棚の石油資源の存在が注目されるようにな った昭和四十五年(一九七〇年)以後はじめて、同諸島の領有権を問題にしはじめたにすぎないのです。げんに、 台湾の国防研究院と中国地学研究所が出版した『世界地図集第一冊東亜諸国』(一九六五年十月初版)、および 中華民国の国定教科書『国民中学地理科教科書第四冊』(一九七〇年一月初版)(別添1)においては、尖閣諸 島は明らかにわが国の領土として扱われています(これらの地図集および教科書は、昨年に入ってから中華民国 政府により回収され、尖閣諸島を中華民国の領土とした改正版が出版されています)(別添2)。また、北京の地 図出版社が出版した『世界地図集』(一九五八年十一月出版)(別添3)においても、尖閣諸島は日本の領土とし てとり扱われています。





中華民国59年1月再版、国民中学地理教科書(昭和45年1970年)
昭和47年外務省文化局「尖閣諸島について」18頁より



管理人:上図の台湾との国境線の部分拡大である。
国境線は南は與那國島(与那国島)、北は尖閣群島(尖閣諸島)と台湾との中間にあり、
尖閣諸島は日本領となっている。「尖閣群島」という文字そのものが日本領であることを示す。








中華民国60年1月再版、国民中学地理教科書(昭和46年1971)
昭和47年外務省文化局「尖閣諸島について」19頁より



管理人:上図の台湾との国境線の部分拡大である。
與那國島(与那国島)と台湾との国境線は昭和45(1970)年版と同じように中間線にあるが、
尖閣群島は釣魚台列嶼と書き改められ、尖閣諸島の手前で北に曲がっていた国境線は
尖閣諸島の前で逆に南に歪められ尖閣諸島は中華民国領となっている。









北京地図出版社「世界地図集」(昭和33年1958)
昭和47年外務省文化局「尖閣諸島について」20頁より


上図部分拡大




参考1:これは教科書ではなく一般地図です。

中華人民共和国地図 部分
北京1990中国地図出版社

管理人:注目してほしいのは国境線が与那国島の海岸近くまで押し寄せてきたこと。
与那国島は赤い線に隠れて見えない。



参考2:これは教科書ではなく一般地図です。

台湾省地図冊
北京1991.8中国地図出版社

管理人:これだと国境線が与那国島の海岸近くに一気に押し寄せたことがはっきり解る。





































































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